ニヴフ語、日本語、朝鮮語の歴史的関係
ニヴフ語、日本語、朝鮮語の歴史的関係
今回はこれまで行ってきたニヴフ語・日本語・朝鮮語の語彙比較から得られる言語学的な情報をまとめる。語彙の比較などは前回までの投稿を参照。
part1
ニヴフ語、日本語、朝鮮語の語彙比較 (1) - mmmSPのブログ
part2
ニヴフ語、日本語、朝鮮語の語彙比較 (2) - mmmSPのブログ
part3
ニヴフ語、日本語、朝鮮語の語彙比較 (3) - mmmSPのブログ
part4
ニヴフ語、日本語、朝鮮語の語彙比較 (4) - mmmSPのブログ
part5
ニヴフ語、日本語、朝鮮語の語彙比較 (5) - mmmSPのブログ
A. アムール語族と日本語族、アムール語族と朝鮮語族の間に言語接触があった。
これまで示してきたような共通語彙の存在から明らかである。またアムール語族-日本語族、アムール語族-朝鮮語族それぞれの間でのみ共有されている語彙があることから日本語-朝鮮語の言語接触を解した間接的な借用語以外の要素 (各語族とアムール語族の直接的な言語接触) も存在していることが分かる。
B. 上記言語接触は時系列的に複層構造を持つ。
少なくとも以下に示すような異なる二つの時代の言語接触があったことが示唆される。
B-1. より古い言語接触
たとえば以下のような要素は日流祖語の段階から存在する語彙がアムール語族と共通する例であり、非常に古い言語接触の影響を反映していると考えられる。
a-(i). PN *kuti ‘hole’ = PJ *kutuy ‘mouth’
a-(ii). PN *mra ‘stem’ = PJ *mətə ‘base, origin, root, trunk, classifier for plants’
a-(iii). PN *qaw- ‘dry’ = PJ *kaw(a)- ‘id’
また中世朝鮮語においてアムール語族と共通する語彙の例を以下に示す。中世朝鮮語、及びその祖先である新羅語は歴史的・地理的経緯から考えてもアムール語族との直接的な言語接触の機会は限られ、また以下のように所謂 “基礎語彙” に相当するような共通語彙全てが百済語などを介した間接的な影響とは考えにくい。このため以下のような語彙のうち少なくとも一部は新羅語と百済語が地理的に分離する以前、朝鮮祖語と呼ばれる段階においてアムール語族と接触したために共有するようになった要素と考えることができる。
a-(iv). PN *kuti ‘hole’ = MK kwut ‘cavity’
a-(v). PN *baʀ ‘stone’ = MK pahwoy ‘boulder’
a-(vi). PN *a- ‘kinship prefix’ = MK a- ‘id’
上記a-(i)~a(vi) の項目には、非常に古い時代における言語接触の結果であるという点に加え、多くの場合音韻関係からどの言語が語彙の起源であるか判別できないという共通点を持つ。
B-2 より新しい言語接触
上記の古い言語接触と比較して、言語学的観点から明らかに新しい言語接触によると見られる共通点が存在し、以下にその例を示す。
b-(i). pre-PN *cVtAt ‘small bird’ → pre-OJ sitətə ‘id’
b-(ii). pre-PN *(ŋ(a))-(a)c-Vl ‘foot’, *(ŋ(a))-(a)c-ɣ ‘leg’ → pre-OJ asuy~a ‘foot, leg’
b-(iii). pre-PN *wAdVkVy ‘pustule’ → POK *pAtVkVy → pre-OJ *patakay ‘mange, scabies’
b-(iv). pre-PN *mAkAr ‘true, right’ → POK *mak(a)ri ‘id’
これらの語はそれぞれ日本語族・朝鮮語族内の分布が限られており、それぞれ日本語-琉球語の分岐、百済語-新羅語の分岐よりも後の時代における先上代日本語・百済語に対する言語接触によってもたらされたものであることが分かる。また上記の例 b-(i)~b-(iv)はいずれも音韻的・形態的な情報からアムール語族が起源であることが確実となっている。
C. 言語学的な影響の方向から社会的な立場が示唆される。
言語接触において多くの影響を与える言語は社会的な立場が優位でありるという一般的な常識がある。この点を考慮すればB-1に相当する古い言語接触において、言語同士の立場の優劣はあまり明確ではなく、各言語話者が地理的に近い条件で共存していたために語彙が共有されるにいたったものと考えられる。一方でB-2に相当する新しい言語接触においてははっきりとした傾向が存在し、アムール語族 → 百済語 → 先上代日本語という影響の流れが確認できる。このことからアムール語族話者がこれらの言語 (先上代日本語、百済語) 話者に対して該当する時代 (朝鮮三国時代、日本古墳(大和)時代) において “優位” な立場にあったこということが言語学的分析から得られる見解である。
D. 言語史と歴史の整合
言語史は歴史と一体であり、言語学的知見は考古学的知見・遺伝学的知見などと同様に書記記録に残らない情報を保存している。また言語学・考古学・遺伝学などで得られる情報は記述者の恣意性を含む記録よりもある意味 “中立” とすることもできる(もっとも解釈の恣意性は存在する)。今回の言語学的な調査で得られた情報はアムール語族が過去の北東アジアの言語世界において大きな影響力を持った存在であり、現在のニヴフ語がおかれている社会状況とはまったく異なるということを示している。この影響は上代日本語及び百済語において最も顕著であり、これらの言語がアムール語族に属する言語と接触したと推定される時期は百済王国及び大和朝廷の設立時期と重なる。このような言語話者を歴史上の民族集団に同定するならば、それは扶余民族しかありえず、このアムール語族に属する言語は扶余語と呼ばれるべきである。
E. 北東アジアの言語史には謎が残る。
最後に、今回行った言語学的な調査から示唆される三語族の歴史的なかかわりを下図にまとめる。本稿は決して何らかの結論を出すといった趣旨のものではなく、むしろ北東アジアにおける言語史における新しい視点の議論を始めるための嚆矢となることを期待している。本稿で扱った三語族の関係についても未だに判然としない事柄はいくつも存在し、以下のような項目が挙げられる。将来的な研究がこれらの謎について新たな知見をもたらしてくれることを願う。
◇アムール語族・日本語族・朝鮮語族についてはっきりとはしない項目
・扶余民族の言語とニヴフ語が同系統だとして、ニヴフ語は扶余語の直接の子孫か?
・朝鮮半島における日本語族 (Peninsular Japonic) はいつまで存続したのか? 地理的な範囲はどこまで広がっていたのか? 百済語と半島日本語族の言語接触はどの程度存在したのか?
・朝鮮半島において朝鮮語族が広まっていった過程はどのようなものか?
・百済における扶余語はいつまで存続したのか?
・扶余語と上代日本語の直接的な接触はあったのか、あるいはすべて百済語を介したものであったのか?
・高句麗における扶余語の普及はどの程度であったのか?