早稲(わせ)の語源

早稲(わせ)の語源

概要

日本語において早稲・早生(わせ)という単語は通常よりも早期に収穫される稲を意味する。今回はこの早稲の語源がサンスクリット語の vásar '春' に由来するという試論を述べる。

 

過去の研究

上代日本語において「早稲」は被覆形「わさ」と露出形「わせ2」を持ち、定説に従えば祖型は *wasay である。

OJ wasa- ~ wase < Pre-OJ *wasay [1]

 

Robbeets (2017) はこの単語がオーストロネシア祖語において穀物を指す語からの借用に由来する可能性を指摘した [2]。

 PAN *baCaR ‘Panicum miliaceum (キビ)’ ([3],[4])

→ PJ *wasara ~*wǝsǝrǝ ‘early ripening crop’ > OJ wase

 

問題点

「早稲」の原義は収穫物 (稲) そのものではなく、収穫される時期が早いことを指していると思われる。 

wasa- ~ waseが稲以外を指す例:

早瓜(わさうり)

早生物(わさもの) 

→「わせ2」は特定の農作物を表す語ではない。

他の語彙との比較:

早生(わせ2)という単語は中生(なかて)・晩生(おくて)といった単語と対照される [5]。これらの語における語尾の 「te (て)」は後手(しりて)・長手(ながて)などと同様に空間・時間的な位置・方向を表す形態素だと考えられ、ここでは時期を示している。

→「わせ2」は時期を表す。

 

新たな語源論

「時期が早い」という意味から上代日本語 wase < *wasay の語源を探るとサンスクリット語の vásar '春' ( < PIE *wósr ̥ ) *1が候補として挙がる。

Vovin (2015)及びRobbeets(2017)らが主張するように日本語祖型の末子音がrにさかのぼるとすると音韻対応はほぼ完璧である *2*3

 

「早稲を収穫する時期 」(おおむね夏以降 ) と「春」では意味に大きな違いがあるとの指摘があるかもしれない。しかしサンスクリット語 vásar と同根語であるリトアニア語の vasara の語義は '夏' である。また「春」は文化を問わず様々な文脈において物事の活気があふれる時期を表すことから、草木が黄葉(もみ)じる「秋」に対して緑生い茂る時節を「春」と表現し、この時季に行われる収穫を(通常の秋に行われるものに対して)「早期」と捉えることはさほど不自然ではないと思われる。

 

Frellesvig (2010) によれば上代日本語の urusine (粳稲)に見られるuru-はサンスクリット語vrīhí 'rice' に由来する [6] *4サンスクリット語から上代日本語への借用語は仏教関連及び文化語彙で知られているが農耕分野ではこれがほぼ唯一といっていい例であり、ほかの語彙とは一線を画す。仮に上代日本語 wase がサンスクリット語由来であるとした場合、農耕分野における両言語の関係に新たな知見が加わることとなる。

 

略称

OJ:上代日本語 (Old Japanese)

PAN:オーストロネシア祖語 (Proto-Austronesian)

PIE:印欧祖語 (Proto-Indo-European)

PJ:日本祖語 (Proto-Japonic)

 

参考文献
  1. Vovin, Alexander. "On the etymology of Middle Korean psʌr ‘rice’." Türk Dilleri Araştırmaları 25.2 (2015): 229-238.
  2. Robbeets, Martine. "Austronesian influence and Transeurasian ancestry in Japanese." Language Dynamics and Change 7.2 (2017): 210-251.
  3. Blust, Robert. "Austronesian Comparative Dictionary, version of 14 June 2015." (2015).
  4. Sagart, Laurent, et al. "Austronesian and Chinese words for the millets." Language Dynamics and Change 7.2 (2017): 187-209.
  5. 日本大百科全書(ニッポニカ)』(ジャパンナレッジ版)
  6. Frellesvig, Bjarke. A history of the Japanese language. Cambridge University Press, 2010.

上代日本語の表記はFrellesvig & Whitmanによる。

サンスクリット語リトアニア語の語意はhttps://en.wiktionary.org/を参照した。

 

*1:ラテン語 vēr '春' やこれに由来するの英語 vernal '春の' などと同根語である。

*2:ただしこの子音 r を示す証拠は十分とは言えない。Vovinが主張する中世朝鮮語 psʌr '米' との関連性は OJ waseの原義が時期を表すことを考慮すると意味論的な対応に問題がある。またRobbeetsが同源性を指摘した OJ woso2ro2おそらく関係ない。

*3:Vovinによると *wasay のアクセントは LHであるがサンスクリット語のアクセントとの対応ははっきりとしない。

*4:この語は古ペルシャ語 vrinǰi- と関連しており、ギリシャ語 óruza、アラビア語 ʾaruzz、ラテン語 oryza (及び英語 rice )などにつながる汎ユーラシア的な Wanderwortである。