早良 (さわら) という地名について雑考

早良 (さわら) という地名について雑考

概要

福岡県には早良 (さわら) という地名が存在する。この地名についていくつか雑考を記す。

 

地名

地名「さわら」 (旧仮名遣い : さはら) の上代日本語形は sapara となる。

早良の他にも「さわら」・「さはら」と読む地名は全国に存在し、佐原、砂原などと表記される。

これらの地名は日本語で説明でき、

sa (狭) + para (原)

sapa (沢) + ra (接尾辞) (cf 河原 < kapa + ra)

などが語源として考えられる。

 

表記

地名としての sapara は日本語で説明可能であるが

何故この地名を早良と表記するかについて日本語では説明ができない。

結論から記すと「早良 (sapara)」という表記は古代朝鮮語に基づいたものと考えられる。

 

現代朝鮮語には pparu- ‘早い・速い’ という語が存在する。

現代朝鮮語における pp のような濃音が中世朝鮮語の子音クラスタに由来することはよく知られており、実際に上の語の中世朝鮮語形は spolo- である。しかしこのような子音クラスタ自体が間に存在していた母音の消失によって二次的に形成されたものと考えられているため、古代朝鮮語における再構形は *sVpələ- となる。

 

この古代朝鮮語の単語と(上代)日本語地名表記の関係は以下のようにまとめられる。

(≒は対応関係、≠は非対応関係を表す)

 

 

古代朝鮮語

日本語

語形 (音声)

* səpələ-

sapara

表記

*早良

早良

意味

早い

(地名)

 

音声的に古代朝鮮語の*sVpələ-と上代日本語のsaparaの対応に問題はない。またこの対応から古代朝鮮語の語形は試論的に*səpələと表せる。

 

古代朝鮮語は文字資料に乏しいが、*səpələの表記として *早良を再構することは可能である。詳細は省くが早は訓表記、良は音表記で用いられており、このような表記法は日本語において漢字と送り仮名で語を表す方法と機能的に同じである。

 

 

(訓)

(音)

(古代朝鮮語)

*səpələ ‘早い’

səpə

日本語

usiro ‘後ろ’

usi

ro

 

まとめると(上代)日本語の地名 「さわら (sapara)」とその表記「早良」の関係は古代朝鮮語を通して説明が可能であり、早良という表記の起源は古代朝鮮語由来であると考えるのが妥当である。

 

語と表記の関係性

漢字文化圏の言語を調査するうえでは上記のような語形 (音声) と表記の関係の複雑性が問題となる。

詳しい議論は省くが以下にこの複雑性を示すためのいくつかの例を示す。

 

言語

語・表記

語源

表記の起源

上代日本語

早良(さはら)

sapara

日本語

狭+原or 沢+接尾辞

古代朝鮮語

上代日本語

三枝(さきくさ)

sakikusa

古代朝鮮語

*seki (三) + *kac (枝)

古代朝鮮語

日本語

登別 (のぼりべつ)

noboribetu

アイヌ語

nupur (色が濃い) + pet (川)

日本語

日本語

墨西哥 (めきしこ)

mekisiko

英語 < スペイン語 < ナワトル語

Mexico

(現代) 中国語

 

 

「早」の慣用音「サッ saQ」について

漢字「早」の音読みは通常 ソウ /soo/である (例: 早期 ソウキ /sooki/)。

しかし「早」いわゆる入声に属していないにも関わらず促音化した慣用音も持つ。

(例 早急 サッキュウ /saQkyuu/、早速 サッソク /saQsoku/)

この慣用音 /saQ/ の起源は「早良 (さわら)」の表記において

「早」の読み /sapa/が二合仮名として異分析されたことである可能性がある。

 

中国語中古音に存在した入声 –p, -t, -k は日本語おける漢字音においても潜在的には存在するとみなすことが可能である。この中で上記の「早」のような表現形 /Xoo/ ~ /XaQ /の変種は潜在形において入声 –p を持つ漢字においてみられる現象である (例えば漢字「合」など)。

 

漢字

入声

潜在形

表現型 (音読み)

-k

【ak】

→ /aku /

→ /aQ/

悪意 /akui/

悪化 /aQka/

-p

【gap】

(→ /gapu/ → /gau/) → /goo/

→ /gaQ/

合意 /gooi/

合体 / gaQtai/

【sau】(正規)

sap(類推)

(→ /sau/) → /soo/

/saQ/

早期 /sooki/

早急 /saQkyuu/

【kau】(正規)

kap(類推)

(→ /kau/) → /koo/

/kaQ/

高貴 /kooki/

 

※太字は類推による慣用音

 

 

「早」の中古音から導出される日本語における正規の潜在形は【sau】である。これまでの研究では「早」は入声 –p を持つ漢字と表現形 (音読み /Xoo/ < /Xau/) が同じであるため類推で潜在形【sap】が想定され、慣用音 /saQ/が生じたのだと説明されてきた。しかしこの説明ではなぜ「高」などの「早」と同じ韻を持つ漢字において類推による慣用音 /XaQ/ が生じなかったかが判然としない。

新しい試論として「早」の類推潜在形【sap】の起源は「早良」の表記に起源をもつという説を唱える。上代日本語において「早良 (sapara)」における「早」の(朝鮮)訓 /sapa/ を二合仮名による音読みと異分析した場合、 想定される「早」の潜在形は 【sap】である。(cf. 漢字「筑」の潜在形【tuk】, 二合仮名音読み /tuku/)。この潜在形が慣用音の起源となったと考えた場合、なぜ入声を持たない漢字のうち「早」のみで促音を伴う慣用音が生まれたのかが説明できる。

 

漢字

入声

潜在形

表現型 (二合仮名)

-k

【tuk】

→ /tuku/ (音読み由来)

筑紫 /tukusi/

sap(類推)

/sapa/ (朝鮮訓由来)

早良 /sapara/