扶余 = ニヴフ ?
扶余 = ニヴフ(ギリヤーク) = 粛慎 (みしはせ) = オホーツク文化人 ?
以前の投稿において百済 (くだら) の語源がユーラシア大陸に広く分布する '都市・村落' を表す語 kotan~hotan に由来すると主張した。
この語はアイヌ語にも見られ、kotan 'コタン、村' として現れる。この大陸由来の語彙が日本語を介さずにアイヌ語にまで浸透している点は非常に興味深い。アイヌ語は縄文時代から日本列島で話されていた言語と考えられ、大陸からの語彙が流入する経路は限られている。
先アイヌ語はもともと本州の東北部で話されていた言語であり、北海道に進出した時期は比較的最近 (紀元後、おそらく奈良時代以降)であるといわれる [1]。北海道におけるアイヌ語/民族の黎明期、樺太から流入してきたオホーツク文化が北海道の北部に存在していたことは広く知られており、アイヌ文化はオホーツク文化を吸収する形で北海道・樺太・千島列島に広がった。kotanという大陸由来の語がアイヌ語に取り入れられたのはこの過程内でのことだと考えられる。
このオホーツク文化の担い手が後のニヴフ (ギリヤーク)語話者と同系統であり、また日本書紀に見られる粛慎 (みしはせ)であるなどといった説が従来唱えられている。この説が正しく、アイヌ語 kotan の元となった語と百済(クダラ)の語源が同一だとすれば 百済とニヴフに何らかのつながりが存在することが示唆される。
Janhunen (2005) は (百済及び高句麗の王統である) 扶余民族の言語がニヴフ語と関連する可能性を指摘しており[2] (主張はしていない)、仮にこれが正しいとすると百済の国名及びアイヌ語 kotan の関連性をシンプルに説明することが可能である。
参考文献
- Hudson, Mark J., Ann-elise Lewallen, and Mark K. Watson. Beyond Ainu studies: changing academic and public perspectives. University of Hawai'i Press, 2014.
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Janhunen, Juha. "The lost languages of Koguryo." Journal of Inner and East Asian Studies 2.2 (2005): 65-86.